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2006年05月26日
手酌ということで
ビールが好き。 それもみんなでわいわい飲むのが好き。 でも、飲んでいて人にお酌されるのが苦手。
まだ空になっていないビールのグラスに注ぎ足されるのは嫌なので、「ま、どうぞどうぞ」なんて言われると慌ててグラスを空にする。 でもって、注いだビールが泡が抜けうちに早く飲みたいので、すぐ空けてしまう。 そうすると、また「どうぞどうぞ」の繰り返し。 お酌攻撃をブロックするには注がれた酒にほとんど口を付けずに目の前においておくことだが、そんなことはおビール様に申し訳なくてできない。
これじゃ、好きなビールを自分のペースで飲むことができないので、「自分でやりますので手酌ということで」と早めにお断りすることにしている。
問題は年配の人や目上の人と飲むときだ。 こちらから「手酌で」、というのも失礼だし、自分がお酌されるのが好きでないのでつい相手にお酌するのも忘れてしまう。 そうすると、礼儀正しい人は自分で注がずに空になったグラスを前にじっと待っていたりするので、困ってしまう。
同じように苦手なのが、焼肉仕切り屋さんだ。
焼肉はネタによって好きな火加減があるので、できれば自分で食べる分を自分のペースで焼きながら食べたい。
ところが、みんなで焼肉を囲むと必ず一人は「あ、こっちもう焼けてますよ、はいどうぞ。 タン塩もうすこし足しておきますね。 カルビはそろそろいけますよ」なんて仕切り屋さんが出てくる。 鉄板を上に肉を絶やさないのが自分の使命とばかりに、玉ねぎから上カルビまで食べるほうのペースや好みなんてお構い無しにジャンジャン焼いてしまう。 結局、食べるほうが追いつかず、「じゃ、焼けたのこのお皿にとっておきますから」なんて言ってさらに新しい肉を投入するので、結局こっちは冷めた肉を処理することになる。
あー、世の中からビールのお酌と焼肉仕切り屋さんがなくなればいいのに。 「自分でやります」バッチでも作って、胸につけておこうかな。
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2006年05月24日
いま35歳以上の人はもうとっくに死んでいる筈らしい (再掲載)
いま35歳以上の人はもうとっくに死んでいる筈らしい
最近の子供のための安全基準だの健康管理だのってのを聞いていると、どうも40年代から60年代生まれの僕達は危険すぎる環境で育ったことになるからね
そもそも僕らのベビーベッドときたら、鉛のたっぷり入ったテカテカの派手な塗装だったし
薬の入ったビンやドア、引き出しなんかも子供が開けられないような仕組みはなかった
初めて自転車にのったときからヘルメットなんかしてなかったし、大きくなったらヒッチハイクだってしたしね
子供の時だって車に乗るときはシートベルトなんかしなかったし、車にはもちろんエアバッグなんかついてなかった
天気のいい日にトラックの荷台にのせてもらうのはとっておきのごほうびだった
水だってペットボトルなんかじゃなくて、庭のホースから飲んでたよね、信じられる?
カップケーキだのバターたっぷりのパン、砂糖の入った炭酸ジュースなんか大好でたくさん飲んだり食べたりしたけど、いっつも外で走り回ってたからだれも肥満になるヤツなんかいなかった
一本のジュースを仲間で回し飲みもしたけど、それで病気がうつって死んだやつなんかいなかった
ガラクタを集めて何時間もかけてゴーカートを作って坂道の上から走らせたりしたよね。 ブレーキをつけていなかったことに気がつくのはいつも発車してからなんだ
なんどか茂みに突っ込んで、ようやくどうすればよいのか学ぶんだ
朝早く家をでたら、街灯がつくまで一日中外で遊んでいられた
僕らを呼び戻す携帯電話なんかなかったしね 信じられる? 携帯電話の無い世界!
プレイステーションも、X-Boxはもとより、そもそもテレビゲームなんてものは存在しかなった。 99チャンネルもあるケーブルテレビもなけりゃ、レンタルビデオ、サラウンドシステムも、パソコンやインターネット、オンラインチャットなんて無い世界
でも、僕らには友達がいた
家から飛び出せば、一緒に遊ぶ友達はすぐに見つかった
ドッジボールで遊んでいて、ボールがぶつかってマジで痛い思いをしたもんだ
木のぼりして落ちて、骨や歯をおったりするアクシデントに見舞われても、裁判沙汰になんかならなかった
だってアクシデントだもん
誰も責められないよね? アクシデントだもん
友達と殴り合いのケンカして、あざをつくったりしてもなんとかそれを乗り越えることを学んだ
テニスボールと棒切れさえあればいろんなゲームを思いついて遊んだもんだ
目が潰れるぞって親におどされたけど、やっぱりミミズを食って見たもんだ、で、ミミズは永久に体の中で生きているってのもウソだって身を持って確認したよね
自転車や歩きで友達の家まで行って、ドアをノックしたり、あるいは勝手に中に入って、友達といつまでも語り合っていた
リトルリーグには入団試験があって誰でも入れるわけではなかった
入れなかったヤツはくやしさを乗り越えることを覚えなければならなかった
クラスメートの中には、勉強ができなくてダブってるやつもいた。 恐ろしいね
試験の結果が「調整される」なんてことはあり得なかった
自分の行動は自分の責任
どうすればどういう結果になるかはちゃんとわかっていた
警察に捕まった子供に親が保釈金を出すなんで想像もつかない時代だった
親に警察に連れて行くぞって脅されたもんだ
想像できるかい?
こういう時代に子供時代を過ごした僕らには自然と、危険と向き合う能力、問題を解決する能力、画期的な発明をする能力が身についた
過去50年の発明と革新の歴史を振り返ってごらん
僕らには自由があった、失敗も、成功も、責任も そしてそれらとどう向き合うかを学んだ
おめでとう 君もその時代の一人だ
幸運にもこうした時代に生まれ育った他の人にも是非この文面を回して欲しい
「子供のため」の大義名分のもと、弁護士や政府に過保護に育てられた35歳以下の連中には本当に同情する
■■これは、2004年の11月に私のところに回ってきたチェーンメールで、面白かったので英語だったものを翻訳して地方版に掲載した。
何故か最近になって、この記事へのアクセスが多いと思ったら、複数のブログで「こんなチェーンメールが回ってきました」と私の翻訳版が紹介されているらしい。 出展元として地方版へのリンクは無いので、ひょっとすると日本語版が一人歩きしてチェーンメールになって回っているのかもしれない。 それはそれで愉快なので、みなさんもよかったら、このエントリをコピーしてブログに貼るなり友人に送るなりしてみてください。
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2006年05月12日
ケージフリーの鶏は幸せか

マーキュリーニュースのこの記事 (Google uses clout to free hens)を読んで、社員食堂企画でお世話になったグーグルのカフェテリアのニュースということで、とりあえず、ちゃぶだいのプチ地方版にニュースで紹介した。
だけど、この手の話ってどうもすっきり来ないんだよね。 同じ食用の鶏で、ケージに入れたら可哀相だけど、ケージフリーなら殺して食ってもオッケーっていう基準がどうもわからん。 羽を広げられないのは可哀相ってのはあくまで人間の主観的な問題でしょ。 ひょっとしたら、「じっとしているだけで、外敵、天候、餌の心配もなく毎日暮らせてラッキー」って思っているかもしれないし、そもそも自我のない鶏に、「不幸」とか「つらい」とかいう感情があるとも思えない。
元の記事にもあるけれど、ケージフリーにすると接触するほかの鶏の数が増える分、病気に感染して死ぬ確立も増えるそうだ。 弱い鶏が餌を十分に食べることが出来なくて死ぬこともあるだろう。
ケージフリーだろうが、ケージ詰め込みだろうが、卵が生産できなくなれば殺されて唐揚げになっちゃうのは同じだろうし、殺すときに麻酔を打って、安楽死させてやっているとも思えない。 そもそも、動物が捕食する相手に「可哀相」なんて感情を持ってたら生きていけない分けで、自分が手を下さない消費者である我々が、「ケンタッキーフライドチキンはおいしいけど、鶏舎のニワトリが窮屈なのは可哀相」ってのはおかしな話だ。
グーグルも、「ケージフリーのが美味いから」って言ってくれれば納得なんだけどね。
人間は物々交換を覚えたときから、自分で殺生をしなくても生きていけるようになったんだから、見なくていいものワザワザ見せ付けて中途半端な良心に訴えるようなことは止めて欲しい。 そりゃ、だれだって子牛の首を切って殺すところは見たくないけど、Vealは美味いじゃん。
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2006年05月06日
不法移民問題
昨日と今日、サンタクララのセントラルパークでは、移民法改正に反対する人に反対する「Anti-Protest」のデモが行われた。 車で通り過ぎてみると100人近い人が沿道でアメリカ国旗やプラカードを振っている。 その反対側では小さいグループだが、メキシコ移民サポートグループも対立デモを行っていた。
今回の移民法改正デモについて、メキシコ人を初めとする移民指示派は非常にうまいデモを展開してきた。
すなわち:
・アメリカの国旗を振って、「敵」では無いことをアピール
・白いシャツ、家族連れでデモに参加し、平和で良心的なデモをアピール
・不法移民や彼らに関連する雇用者などを犯罪者あつかいするのは非道い、とアピール
・アメリカ人がやりたがらない、底辺の低賃金労働を支えてきたことをアピール
・アメリカ人だって、みんな最初は移民だった。 メキシコ人はアメリカが来る前からカリフォルニアに住んでいた。
・人種差別反対
こうなると、下手に反論すると悪者になってしまう。
今回、セントラルパークで反対の反対デモをやっていた退役軍人を初めとするアメリカ人の言い分はこうだ:
・移民は歓迎。 でも法律を守らないのはいかん。 ちゃんと手続きするべき
・不法入国、不法労働をみとめてはテロリストや犯罪者、感染病を持つ人が入ってくるかもしれない。
・失業率が高いアメリカで、外国の不法労働者に教育や医療のサービスを与える余裕はない
現場での口論はこんな感じだ:
「移民やメキシコ人に反対しているわけではない。 ちゃんと正規の手続きをして入国し労働するなら大歓迎だ」
「アメリカが不法移民に押し付けている低賃金労働ではビサが降りない」
「こっちは2年前から失業状態だ。 低賃金で働く不法移民がいるおかげで、我々は仕事が無い」
「我々と同じ賃金で同じ仕事をしてみたらどうか? それが嫌だから働かないのは甘えだ!」
「不法移民は全員強制送還すべきだ」
「そしたら、だれが庭師、キッチン、洗車、工事現場で働くのか? アメリカ人を雇用したらこれらのサービスはコストが高くつく分、値上がりとしてあなたたちに跳ね返ることを分かっているのか?」
という感じで平行線が続く。
低賃金労働力としては捨てがたいが、アメリカ国民と同等の公共サービスを全て与えるのは勿体無い、というアメリカ政府の中途半端な立場が続いた犠牲がこうした不法労働者だ。
その存在が既成事実となっているこうした不法移民と対極的に、ホワイトカラーの移民は相変わらず高い費用と長い年月をかけてビザや永住権を取得しているのも事実だ。 もし、メキシコ不法移民に5年間の滞在実績だけで永住権を恩赦するなら、正規ルートで申請し、永住権やビザを待ち続けているホワイトカラー移民には納得がいかないだろう。
当初の改正案のように、
現在すでにアメリカで生活し、労働している不法移民については、バッググラウンドのチェックと税金を納めた証明で労働ビザを与え、さらに将来的には永住権の道を与える。 その代わり、今後はメキシコ国境へ警備を強化し新たな不法移民の流入を防ぐ。
というのが結局リーズナブルだと思える。 新たな不法移民=低賃金労働力が入国しない前提で、アメリカ政府はアメリカ国民がこうした仕事につけるように最低賃金、最低保証システムを見直すべきだろう。 それによって物価上昇というお釣りが来たとしても、税金から不法移民をサポートしなくてよくなった分とトレードオフと考えるしかない。
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2006年05月02日
忌野清志郎
忌野清志郎が昔から好きです。 こういうことしちゃうから。
youtubeで伝説の映像を見つけました。 ちょっと古いけど、夜ヒットで台本にないゲリラでFM東京を糾弾! 放送禁止用語連発 カッコイイ
http://www.youtube.com/watch?v=-FwYcS2csKc
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